第34号:第三十九話:「天国と天竺 その2」

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コルカタにテロが起きない理由
第3号:第五話:Holi (色掛け祭)第3号:第五話:Holi (色掛け祭)第4号:第六話:華麗なるカレー(その1)第4号:第六話:華麗なるカレー(その1)第5号:第七話:ガンガ その1「河清100年待つ」第5号:第七話:ガンガ その1「河清100年待つ」第6号:速報:河清10日間を待つ第6号:速報:河清10日間を待つ第7号:第八話:♪ハウラー橋落ちるー第7号:第八話:♪ハウラー橋落ちるー第8号:第九話:床屋はどこや?第8号:第九話:床屋はどこや?第9号:第十話:下らない話(お食事後にお読みください。)第9号:第十話:下らない話
(お食事後にお読みください。)
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マニプール州 インパール作戦 その1
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ほぼ隔週刊 イトキン コルカタ駐在新聞  第34号 2014年6月12日 コルカタ
第三十九話: 天竺と天国 その2

 

前号に続く

(殿下の食卓)

覗いた伊勢丹のフードコートは、ちょっと高級なフードコートでした。地元の食事が小さな屋台村の様に並んでいます。お昼の時間には早い(10時半)ので、人は多くありませんが、早くも行列の出来ている店があります。そこを覗くと、、、ありました。あれが。

コルカタイトキン新聞_34号①

分かりますか? 「緑のタヌキ」ではありません。

そう、知る人ぞ知る「緑のドンブリ」なのです。(看板右上にあります。)

タイの王室には、タナットシー殿下と言う方が居られます。この方が、王室のどの地位にあるのか、どれだけ王位継承に関与しているのか知りません。が、この殿下は国民に「グルメの殿下」として知られています。テレビの料理番組にも時々出演され、料理の著作が何冊もあると聞きます。

実は、この殿下、自分が「美味くて安い」と認定した食堂・屋台・店に、証明書を出すことでも知られています。証明書が「緑のドンブリ」なのです。

 

幾つかの店で聞くと、こういう段階を踏むそうです。

  1. 殿下の周囲の家来が、日頃、タイ全土で「食い歩き」をする。
  2. それで美味くて安くて頑張っている店があったら、殿下に推奨する。
  3. そして殿下はお忍びでその店に行く
  4. それらの段階は全く店に知らされず、殿下が合格と認めた店には、後日「緑のドンブリ」の証明書が贈られる。

店はこの名誉の「緑のドンブリ」を掲げることを許されています。で、当然店は「殿下の御墨付き」の店として繁盛します。

 

何とも粋な計らいです。但し、これでは終わりません。

後日、殿下の家来が不定期にそれらの店を内緒で訪問してチェック。味やサービスが落ちたり、価格を上げたりしたら証明書を取り上げるのです。

どこかの国のように、「行列が出来る何とか」と出て流行ると、店はぼろ儲けしているが、味が格段に落ちた、なんてことは、緑のドンブリについては(きっと)ないのです。

(イトキン まっしぐら)

そんなウンチクは、既にどこかに吹っ飛んでいます。気がつくと皆が頼んでいた、揚げローストチキン、青菜、ゆで卵を乗っけたあんかけ御飯を食べていました。

コルカタイトキン新聞_34号②

写真を撮るのも忘れ、既に食べ始めていました、、

あーうんめぇ。至福の喜び。殿下ありがとう。「んまい」。涙がうっすら浮かびます。

 

実は、タイの御飯。一食の量は意外に少ないのです。なので、タイの人々は一日に何度もおやつの様に分食すると聞きました。殿下のぶっ掛け御飯(きっとちゃんとした名前がありますが、スミマセン)は、一瞬で胃袋におさめこんで、更に奥を見に行きました。

すると、また殿下のドンブリ。しかも今度はベトナムのPho(米粉きしめん汁蕎麦)ぢゃぁないですか。いやぁん、ニューハーフの声を上げそうになりました。自分の大好物です。

コルカタイトキン新聞_34号③

控えめに右肩に殿下のドンブリがあります。

自分が初めてベトナムに行ったのは1989年。会社に内定が決まり、研修に参加すべく日本に帰る途中でした。当時ベトナムはアメリカの経済制裁を受けていて、日本で査証申請しても一ヶ月かかりました。しかしバンコクの旅行会社の多い下町で机一個だけ置いているおばさんにお願いすると、一晩で取得してくれました。

当時ベトナムには観光客もほとんど居らず、また経済制裁下なので日系企業は現地進出も、出張すらもしませんでした。。そんなときに入社内定していた商社(N社)は、他商社を尻目に堂々と駐在員事務所を構え、大いに商圏を拡大していました。その大胆な「逆貼り」の姿を見て、入社前ながら感動したものです。

話がそれました。

当時のベトナムには日本食なんて皆無だったので、自分は毎日何度も屋台でPhoを食べていました。すると、屋台のおばさんから「あんた独身かい?」と聞かれました。「うん、そうだよ」と答えると、「うちの娘が独身なんだけど、どうかねぇ。日本に連れていかないかい?」と持ち掛けられました。娘さんは白菜を刻んでいました。結構綺麗な、白菜の様に色白なベトナム美人です。おとぎ話のような展開に、不思議な気持ちになりました。

 

後日このおとぎ話をベトナムの友人にしたところ、背景がわかりました。おばさんから持ちかけられたのは、自分が(いうまでもなく)イケメンだったからではなく、金持ちだからでもなく(自分は共産国からの留学帰りで極度に貧乏でした。)、特殊な理由があったからだったといいます。

当時(1989年)は、ベトナム戦争(1975年終結)の後遺症で、現地の男性が極度に不足しており、女性にとって、嫁入り先を探すのは極めて困難だったのだそうです。なので、悪くなさそうな嫁入り先だったら、とにかく押さえてしまう、、というのが一般的だったとか。あの時結婚してれば、今頃会社を辞めて屋台でおいちいphoを作っていたかも知れません。

なぁんて考えていて、ふと気がつくと既にphoも胃袋にすっ飛んでいました。青春のほろ苦い味がしました、なぁんてね。

コルカタイトキン新聞_34号④

周囲から見たらただの食いしん坊親父です。

更にフードコートを回ると、また幾つもドンブリが見つかりました。殿下は一体幾つ胃袋を持っているのでしょうか。だけど、これもそれも美味そうです。あぁ、いつまた此処に来るんだろう。「これも一期一会である」と千利休宗匠の教えに従って、出会いを大事にするあまり、また食ってしまいました。もう思考は無政府状態です。

コルカタイトキン新聞_34号⑤コルカタイトキン新聞_34号⑥

あぁ、気がつくともう満腹で、日本食が食えません。「後悔ありて反省なし」自分の情けない、しかし愛すべき人生の1ページがまたこうして過ぎていきました。が、あれもこれも美味かったです。満ち足りた気持ちで伊勢丹を後にしました。

食い過ぎ。散歩することにしました。

コルカタイトキン新聞_34号⑦

伊勢丹からの風景。近代と伝統が「綺麗に」共存

 

(四半世紀)

自分が初めてバンコクに来たのは、東欧への留学の途上、25年前のことでした。当時のバンコクの空港はドンムアンにあり、空港の前から電車でバンコク市内に行けました。

列車の終点はホアラムポーン駅(中央駅)。駅を出て右手に行くと中華街です。当時はそこの安宿に泊まっていました。下町の雰囲気の界隈を散歩するのが好きでした。

コルカタイトキン新聞_34号⑧

ホアラムポーン駅です。

このホアラムポーン駅からはタイの北東部へ向かう電車が出ます。タイの北東部イサーン地方は、タイの中でも貧しい地域として知られています。この地方は、タイの中央部と異なりもち米(カオ・ニャオ)を食べます。

この、イサーンの人々向けの駅弁屋が、駅の右手にありました。自分は25年前にこの駅弁(と言ってももち米を炊いてビニールの小袋に入れたもの)と、焼き鳥に出会い、非常に感動して以来、折にふれてずっと買い続けています。タイの人には「田舎者の食い物」でも、自分にとっては、「赤くない赤飯」「つく前の餅」。ご馳走感覚で頂けます。

25年来、バンコクにくるたび、ここに寄ってきました。インド企業に勤務し、日本からインドに出張した帰り、肉に飢えてバンコクで途中乗り継ぎ。空港から脱走し、この駅弁屋台の焼き鳥を食べると、「肉食万歳」と叫びたくなったものです。とくにボンジリは最高で、ホッペが落ちます。この屋台の周囲にはホッペを随分落としました。

 

今回、伊勢丹でタイ料理に堪能した後、「インドに戻るならその前に焼き鳥を買って帰ろう」と、ホアラムポーンの駅に向かいました。

地下鉄でホアラムポーンの駅に到着。地下鉄の駅から、まずは地上にあがりました。

ただ、前回来たのは、かれこれ7年前。 まだあの屋台はあるのかなぁ、、。

真っ直ぐに屋台の場所に行きたくない。心情的にそう感じました。この感情は何でしょう。確か昔、デートに行くときもそうだった気がします。早く待合場所に着いても、何となく落ち着かず、周囲をウロウロし、結局待ち合わせに遅れて。なーんて、ちょっと井上陽水チックです。表通りから行けばいいのに、裏道から通って行きました。すると、、

あった! これ!!

コルカタイトキン新聞_34号⑨

旧友との再会の様な心持になりました。

メニューも全じです。同じように、同じものを焼いています。ボンジリもありました。嬉しい余り、何かに感謝したくなる気持ちになりました。嬉しくて、屋台のおっちゃんに「俺は25年来ここに通っているんだ」と伝えようとしましたが、残念ながら英語が分かる人は周辺に居ません。25がギーシップ・ハーンというのは知っているので、伝えようとしたのですが、伝えられません。おっちゃんは、25と叫ぶ自分に「焼き鳥25本も食うのか?よく食うなぁ」と誤解しているようです。25本買っても1000円。買っても良いと思いましたが、無駄にしてはいけません。15本に留めました。もち米も幾つか買いました。

コルカタイトキン新聞_34号⑩

右にもち米もあります。焼き鳥との組み合わせは最強です。

 

いつしか夕方。空港に戻りました。実はちょっとした事情で、家族の来訪は取りやめになりました。

少しく残念でしたが、何かと色々なものに出会ったバンコク、天使の都でした。

コルカタに戻って、ホテルの部屋でもち米と焼き鳥を頂きました。ボンジリを噛み締めると、ジュワっと甘い脂の味がして、味覚中枢をこれでもかと刺激します。ゴクリと飲み込むと、25年前と同じ味わいが、体を突き抜けていきました。

以 上